
河石良太郎
Ryotaro Kawaishi
郵便配達人・朝太郎役
千葉県大多喜町の旧郵便局を改装した花屋「fumi」を開業。本作で映画初出演。この木造郵便局が、物語の主要な舞台となりました。
2026年 · 87分
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予告編 01タップして見る ▶
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予告編 03タップして見る ▶のどかな町で赤い自転車を走らせる若い郵便配達員、朝太郎。ある日届いた宛名も差出人もない真っ白な一通の手紙が、日常を不思議な旅へと変えていく。遠い記憶の底から浮かび上がる家族の影、運命の再会。夢と現実が交錯する、伴田作品独特のマジックリアリズム世界へと観客を誘い込む異色長編。

Ryotaro Kawaishi
郵便配達人・朝太郎役
千葉県大多喜町の旧郵便局を改装した花屋「fumi」を開業。本作で映画初出演。この木造郵便局が、物語の主要な舞台となりました。

Kei Marimura
母・恵子役
ジャズシンガー。1982年、アルバム『ELEGANCE』でメジャーデビュー。代表作『THE MAN I LOVE』でゴールドディスクを受賞。ジャズライブを中心に精力的な活動を続けています。



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日本語訳・全文
伴田良輔の長編第3作『赤い自転車』は、『森へ island』(2022)、『道パッサカリア』(2023)に続き、戦争の残響、自然界、そしてそこに生きる人々の創造性といった主題を探究している。それらはすべて手作りの美学をもつ実写とアニメーションによって語られる。本作がこれまでと異なるのは、上映時間が長くなり、出演者も増え、時間と場所を自在に行き来する物語を備えた監督にとってこれまでで最大の作品となっていることだ。
作品の規模は広がったものの、映画は淀みなく流れていく。伴田は多種多様な素材を巧みに統御し、それらを、終始想像力に満ちた映像世界へと融合させている。その世界は観客を映像と主題の探究へと誘い、映画が世界を捉える可能性に対する、開かれた心と情熱を再び呼び覚ます。
私たちは、赤い自転車の持ち主である朝太郎の人生をたどる。朝太郎は、数字を扱う並外れた能力をもつ正直でひたむきな郵便配達員だ。日本のある半島の、のどかな村に暮らす彼は、赤い自転車を頼もしい愛馬のように駆り、田舎の小道や未舗装の道、街道を走って、住民たちに手紙を届ける。届け先は、ファンレターを受け取る作家であったり、便りを交わす恋人たちであったりする。
筋立ては最小限に抑えられている。伴田が観客を誘うのは、目に心地よい田園風景のなか、四季を通じて描かれる朝太郎の日々から生まれた、豊かで美しい映像との対話である。
彼の道行きは、しばしば主観ショットや、風景のなかに彼を置く広い画角のショットで、映し出される。その構図は美しく、色彩に富んでいる。朝太郎がこの田園の地を進んでいくにつれ、カメラは彼の周囲の生命へと関心を向ける。農場の鶏や七面鳥、卵からかえる雛、水を飲む蝶。この牧歌的な世界を体験することは、心をくつろがせ、晴れやかにしてくれる。
そこに見いだされる数多くの小さな物語にも、十分な時間が与えられている。伴田は長いシークエンスを設け、ショットを持続させることで、観客が日常の営みを味わえるようにしている。
ゴシック・ロリータ姿の人物や覆面レスラーなど、村人たちの風変わりなところには思わずくすりと笑ってしまう。出演者が職業俳優ではない人々で構成されていることも、映画に楽しさを添えている。一方、鳥や蝶の生命のめぐりなど、息をのむような光景もある。
音の風景もまた、心に響く。愛らしい楽曲や赤い自転車のベルの音に加え、朝太郎の語りには、魅力的な無垢さがある。朝太郎は、驚きと畏敬をにじませながら言葉を発することで、それを表現している。彼を取り巻く世界への純粋な驚きが、観客に直接流れ込んでくるようであり、目の前の光景を味わう私たちの体験を、いっそう豊かにする。
この世界をさらに魔法めいたものにするのが、自由な空想の飛躍だ。例えばカレル・チャペックの『郵便屋さんのお話』に着想を得た、郵便局の妖精たちによる愛らしいストップモーションの劇中劇があり、それが朝太郎を世界を巡る冒険へと導く。
人のように振る舞う玩具たちは、オリヴァー・ポストゲートによる英国の古典的な子供向けアニメーション『バグパス』にも通じる、昔ながらの魅力を放っている。その魅力が、朝太郎のどこか子どものような性質を際立たせる。少年らしい愛らしさを失わず、身の回りの世界を慈しむこの男に、観客は親しみを抱くようになる。それだけに、彼の人生の別の側面にある暗さが一層痛切に迫ってくる。
朝太郎の物語は、その始まりと終わりを悲劇に挟まれている。映画の冒頭では、第二次世界大戦の終わりが近づくであろうことが明かされ、米軍の空襲の記録映像と、昭和天皇の終戦の詔書を読み上げる声の一部が流れる。また、母・恵子(歌手の真梨邑ケイが演じる)の不在と、彼女が朝太郎を海岸に置き去りにしたことが、映画全体に織り込まれている。
彼の別れの場面で示される彼の数字の能力は、子どもらしい微笑ましいものから、成長が止まっていることの徴候、あるいは心の痛みに対処するための仕組みへと、その意味を変えていく。
明るい日々のあいだに差し挟まれる朝太郎の夢には、死や破壊、見捨てられることが時折現れる。ある不穏な夢では、日本の伝統的な道化であるひょっとこが、いたずら好きで朝太郎の小さな数字を壊し、朝太郎の語りは苦痛に引き裂かれる。私たちが目にする自然の映像のなかにも、死の影がさすものがある。たとえば、蛇がシジュウカラの巣に入り、やがて出ていく、息をのむ、心臓が止まりそうになる5分間のシークエンスだ。恵子が朝太郎の村へ帰ってくることで、彼の人生の暗い側面は、その全貌を現す。物語は、彼の魅力的な少年らしさゆえに、彼の精神的な衝撃に対する備えをもっていないことを示唆してくる。
重要な役割を担う真梨邑ケイの歌声は、彼女が演じる人物の宿命を受け入れる姿勢と、朝太郎の知らない世界の生々しさを支えている。彼女は、この郵便配達員と過ごしてきた私たちの時間に、心のこもった、感情に深く訴える結末をもたらす。しかし、その後のコーダでは、骸骨やさまざまな物がカミーユ・サン=サーンスの「死の舞踏」に合わせて踊るが、ストップモーションで描かれる。
こうして映画は、一人の人間の悲劇から、生と死の循環のなかに位置づけられる物語へと移っていく。
戦争や愛国心をめぐる映像、そして朝太郎の家族の歴史は、不寛容や国家主義、紛争が力を増していく私たちの時代に鋭く響く。一方、明るい側の映像は、生命と自然の美しさ、そしてその驚異を大切にするよう、私たちに呼びかけている。
これは、死すべき存在であることの影に覆われながらも、日常の世界に満ちる生命力を慈しむ映画だ。あり豊かな想像力によって語られている。伴田の風景は細部に富み、観客がそのなかに迷い込める余地を差し出している。構えることなく、生と死の循環を感じていく。そうすることで、表題の赤い自転車の旅を通じて、私たちは自らを見返るのである。
聞き手:ミケーレ・ディオマ
WILD FILMMAKER 編集長
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